この町の防災防犯について考えてみませんか?【地震より怖いもの編】

こんにちは、1丁目のウサギです。

今回は震災発生「」の事についてお話したいと思います。

1・キャンプとは異次元の世界

私自身が直接体験した最大震度は3.11の「震度5強」。

当時仕事で五反田の大きなビルの中にいましたが、揺れ幅の大きさより時間の長さに驚いたのを覚えています。

その後川崎の会社に戻るまで8時間、そこから帰宅は諦めて会社で寝泊りしました。

翌日からは皆さんもご承知の通り、ガソリンやトイレットペーパー等あらゆる物が不足して苦労しましたね。

では何度もブームになっているアウトドア生活やキャンプ慣れしていれば何とかなるのか?答えはNoです。

真っ先に心配されるのが食料や水だと思いますが、避難生活で「餓死した」という事はあまり耳にしません。

余程の離島や山奥で長期間孤立しない限り可能性は低いのですが、実際に困るのは「水の運搬」と「人間性の悪化」。

これはどれだけ訓練していても克服できる物ではありません。

では実際にどのような事が起き得るかを想定してみましょう。

2・とにかく「水」で苦労する

仮に断水が2ヶ月続くと想定して、直前に運良く浴槽やバケツに溜められたとしてもせいぜい1週間、真夏なら衛生状態も考慮して3~4日が限界です。

では給水所が機能したとしても、ポリタンク5Kgの水をかついで瓦礫だらけの道をどれだけ歩けるでしょうか?

しかも自分のだけではなく「負傷している知人」「近隣のお年寄りの方の分」等の運搬も依頼される事もあるので相当な重労働になります。

そもそも何時間も並んで1~2Lしかもらえない・・・なんて事が阪神淡路大震災の時に事実として報道されました。

「ガスコンロや炭・テントやライトは万全だ」という過信が大きい程、全く未経験の試練に打ちのめされます。

もちろん近くに綺麗な湧き水等があれば話しは変わりますが、災害後で生活排水の管理不能な状況下で直接飲める自然水は期待できません。

では本当は何が必要か、何が大切なのかを検証して行きましょう。

3・「困った時は譲り合い」が通用しない

様々な状況で物が不足・長期化すると争いが起こり、人間というより動物的な一面が露呈されます。

これは良い悪いではなく生き物の固体としての生存願望がある以上当然の事であり、平常時だからこそ維持できる「人間らしさ」には限界があって当然なのです。

特に大きな被害を受けた市街地では復旧の目処が立たない事が最大のストレスとなります。

「○月△日には□が復旧する」とは予告不可能なので、最初から「電気は1ヶ月」「水道2ヶ月」「ガスは3ヶ月」等と良い意味で最悪の想定をしておきましょう。

しかも建物や財産は焼失してしまう事も多く、一般的に将来「昔の復元」を期待してしまいます。

しかし道路や公共設備も損壊した状況で発災前に時間を戻すような期待は非現実的なので、昔の状態と違う形であっても「再興」できる事を目標とし、同時に元に戻せない物もある事を覚悟しておきましょう。

ボランティアや災害派遣の方々の善意からの行為もトラブルの元になり、疲弊している状況を更に悪化させてしまう可能性があるのです。

4・「共助に参加する」その経験こそが真の財産に

ここまで来るともはやお金や所有物が殆ど機能しない事が分かりますね。

必要なのは「自分から動く」事。よく言われて分かっているはずなのに出来ない、それは「動く行為」ではなく「疑心暗鬼の故に参加できない」のです。

どんな人でも避難所や街中で長期困窮していれば「他人は敵」となります。

いかに平常時にどんな活動でも良いので参加して顔見知りを増やしておくか、少しでも会話できる人脈を構築しておくかが大切なのです。

町内会や行政で様々な活動が行われておりますが、目的の違いや達成したか否かはひとまず置いといて「新たな知り合いができた」「ちょっとした頼み事がしやすくなった」が実現できたなら合格なのではないでしょうか。

まとめ

要するに発災後で恐ろしいのは「地震よりも人間」だと言う事。発災直後・1ヶ月後・3ヶ月後では全てにおいて状況が変わります。

最も回避したいのは「被災者同士での争い」で、それにはホームセンターやネット通販では手に入らない「信頼関係」をいかに平常時に構築しておくかが大切ですね。

この記事を書いたひと

一丁目のウサギ

神橋小学校・六角橋中学卒業で、ほぼずっと神奈川区にいるサラリーマンです。
ちょっと心配性な所を防災活動に活かして行きたいと思いますので宜しくお願い致します

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